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キム・ソクチュル、パク・ピョンチョン、キム・デレ、斎藤徹 ほか/サルプリ集

●魔性のリズム“サルプリ”を素材に斎藤を含む韓日の達人が存分に自己主張した豪華オムニバス。シャーマン界の巨頭たちが、それぞれに超個性的なサルプリを披露。最終的に踊れるところが凄い。(SMCD-040・2002年プレスを出荷します)


  • Park ByungChun
    (janggo & voice on 1.2.)
  • Saitoh Tetsu
    (accoustic bass on 1.2.4.5.6.)
  • Lee TaeBaek
    (ajaeng on 1.5.)
  • Jo GongRye
    (vocal on 2.)
  • Park ByungWon
    (ajaeng on 3.4.)
  • Kim BangHyun
    (daegeum on 3.4.)
  • Kim DaeRye
    (vocal on 4.)
  • An SookSun
    (vocal on 5.)
  • Lee KwangSoo
    (kkwaenggwari on 5.)
  • Sawai Kazue
    (koto on 5.)
  • Itabashi Fumio
    (accoustic piano on 5.)
  • Kim SukChul
    (janggo & kkwaenggwarion 5., voice on 6.)
  • 01. Salpuri(サルプリ)
    - Korean Traditional
    02. Salpuri
    - Korean Traditional
    03. Salpuri
    - Korean Traditional
    04. Salpuri
    - Korean Traditional
    05. Salpuri
    - Korean Traditional
    06. Salpuri
    - Korean Traditional

  • Recorded at Seoul Korea, May 1992(1.2.3.4.6), Nov., 1993(5.). 
  • Produced by Sohn, Ah Sun(Sound Space) and Shimizu Ichiro (Sound Space)
  • 歌うことと踊ること、どちらも音楽芸能の重要な基本である。 
    大韓民国の豊かな音楽芸能のなかでは、踊ることはたとえば宇宙を図式化することに等しい。大胆にして細心である。 
    リズムの複合的魅力については、これまでにも多くの人々が指摘してきた。重層的でありながら軽やかである。複雑なことをシンプルに聴かせたりする。しかも大韓民国の音楽の多くは、時間感覚の伸縮が自由自在なのだ。いや、西洋音楽に馴れすぎた耳やデジタル化されすぎた体質にとっては、おおらかで不規則に感じられてしかたがない、ということなのだ。時間感覚の自在性、とは、裏を返せば聴く人間の不自由性を現わしてもいるのである。西洋と非西洋という視点は、しかし、西洋的基盤の上に成立するものだ。そもそも大韓民国の豊潤な音楽芸能にとって、そんな視点などほとんど無意味である。その点では、中華人民共和国や日本より、同じ日本でも沖縄やインドネシアやインドの人々の感覚に近いのだろう。 
    サルプリ、というリズムには確かに魔性がある。その動と静の交差は、人間の快感の最も過敏な部分をゆるやかに刺激する。官能的ということでは、他のどんなリズム/ビートにもない香がある。耳で聴き身体で感応しながら、嗅覚が覚醒していく。目を閉じて光景を浮かび上がらせることは、様々な音楽で可能だ。しかし、鼻孔の奥に響き、臭いの記憶を呼び醒ますものは極めて稀である。サルプリというリズム/ビートがたくましさと繊細さを合わせ持ち、静と動だけではなく明と暗をも伝える力を持っているからかもしれない。 
    踊り手の実力、人間的背景をも反映させてしまう力さえ、サルプリには感じられるのだ。 
    だからこそ、このアルバムが生まれた。 
    演者、歌い手、それぞれの特性が、すみやかに、かつ大胆にここに定着されている。それぞれの呼叫してきた空気の色が、サルプリを媒体に浮かび上がって来る。それぞれが、サルプリに対しての愛情をすんなりと、時に、無意識のうちに過剰なほど強く表出させている。ビート感はそれぞれに異なっている。その差異に大韓民国の音楽的土壌の肥沃さが現われる。 
    あまりにも健やかである。その健やかさは西洋的価値体系にとっては驚異かもしれない。せい絶なほどのビートの熱が、ときになめらかに、ときに無骨に、ときに野性的に描き出されている。演奏という行為と踊るという行為が融合したとき、大気に変化をもたらすということが、真実なのだとわかるだろう。 
    アルバム『神命』発売記念のときの実況録音によるサルプリがある。これが舞踊をともなった演奏の記録だとは、すぐには理解しがたい。演奏者それぞれが限界まで放熱している。せめぎあい尊敬しあい、与えあう。嵐のような音の交差とビートの交流がここにある。 
    1960年代にアフリカ系アメリカ人たちは、自らのルーツを求め、演奏のフォーム自体を解体することで、いわば体内にある自分自身の“根”を表現した。音楽的付加価値すべてを振り払って、自分の肉体に宿った演奏エネルギーだけで会話し合ったFree Jazzは、至上の歓喜を、自己解放を我々にもたらした。 
    ここにある『神命』のサルプリのライヴは、ジャズという形式に毒されたジャズ・ファンにこそ聴いてもらいたいものだ。自分自身の血を踊らせることの歓びをわかち合えなければ、フリーなジャズなど無意味な自己満足でしかない。この録音はジャズを越えたジャズだ。 
    サルプリは優雅である。優雅でありながら激越である。大河の流れのようであり、嵐の大木のざわめきのようである。いったい4千年前の“サルプリ”とはどんなものだったのだろうか。そんな想像を思わずしてしまうのであった。

    Yuasa Manabu
    - Feb 1994
    © 1994 Yuasa Manabu

    Copyright © 1996 by Sound Space. all rights reserved.
    商品コード : SRCD-1161
    製造元 : [1995/2/-]SOUNDSPACE
    価格 : 2,600円(税込)
    ★SMCD-040盤を出荷します。
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